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レーシック

海外・日本におけるレーシックの歴史

レーシックは、技術の向上が進み安全性が認められるようになったことから急速な広がりを見せています。今では世界的にもポピュラーな視力回復方法となっており、20年以上にわたり累計4,000万症例以上の手術が行われてきました。*1

エイエムオー・ジャパン株式会社調べ(2016年度)の国別の年間手術件数によると、日本では年間約3万5千症例とされています。世界をみると、中国で年間約90万症例、アメリカで約60万症例、インドで約20万症例、ドイツで約14万症例と、アジア・ヨーロッパを問わず広く普及しています。

レーシック先進国といわれるアメリカでは、2014年度は景気の影響などを受けて60万症例ほどですが、2008年のリーマン・ショック以前では150万症例ほどにも上っていました。

しかし、レーシックがこのように世界的な手術法になっていくまでの過程は、決して平坦ではありませんでした。日本・海外ともに、医療関係者達の度重なる研究が長期に渡り重ねられてきたのです。

*1 EyeWorld April2016, 1991年からの統計

海外におけるレーシックの歴史

レーシック研究の起源は古く、なんと西暦1800年頃にまでさかのぼります。この頃から、レーシックのもととなる「メガネなどの道具を使わずに視力を回復させる」という研究が世界中で始まっていました。

そのなかで、1869年にオランダの学者により発案されたのが、現在のレーシックの元となっている「屈折矯正手術」です。白内障手術後の乱視を治療するために考案された術式で、角膜を切開して平にする方法でした。

この「角膜の形を変えて光の屈折を調節し、視力を回復させる方法」は、後にさらなる研究が成されてゆきます。1885年、ノルウェーで実際に屈折矯正手術が行われることとなりました。白内障の手術後に起きた乱視に対して、角膜を内側から切開する手術です。これが、角膜への屈折矯正手術では世界初といわれています。

その後、近視に対しての屈折矯正手術が広がり始めたのは1972年の旧ソ連でした。角膜の切開部分を最小限におさえた、PKという新しい手術方法が開発されたのです。特に旧ソ連の軍人に対して多くの手術が行われましたが、当時はまだ手術の精度が決して良いものではなく、広くは普及しませんでした。

1975年になって、レーシックの歴史は大きく動き始めます。

アメリカのIBM社により、現在のレーシック手術で一般的に用いられている「エキシマレーザー」が開発されました。ここから屈折矯正手術は飛躍的に進歩することになります。エキシマレーザーは、当初は半導体の基盤加工に使われており、その精度の高さをいかして電子回路を作るために使われていました。この精度の高いレーザーを人体に応用しようとする研究が始まり、動物実験などを重ねました。その結果、「ミクロン単位の正確さでの角膜切開ができること」また、「眼球の表面に大きな熱変動を起こすことなく角膜を削り取れること」が確認されました。

1983年になるとアメリカで、メスの代わりにこのエキシマレーザーを角膜の表面に照射し角膜を上皮ごと削るPRKという手法が確立され、これまでのPKよりも精度の高い手術として主流になっていきます。

しかし、この段階でも、PKやPRKにはデメリットがありました。術後の痛みが非常に強く視力が安定するのに長い時間がかかるため、特に会社で仕事を持つ人には大きな支障となり、手術を希望する人は多くはありませんでした。

レーシックという手術方法が開発されたのは1990年、ギリシャのパリカリス博士の考案によるものでした。ここで初めて、「マイクロケラトーム」という小さな刃物を使ってフラップを作り、角膜の必要な部分にだけエキシマレーザーを照射する術法「レーシック」が確立されたのです。その後、フラップを作る際にフェムトセカンドレーザーを利用するようになって更に安全性が向上し、現在のレーシックにつながっていきました。

「レーシック」という術名は「LASIK」と表記します。正式名称は「LAser in SItu Keratomileusis」で、「レーザー照射を本来の場所に収まったままの眼球に施し、角膜を彫り整えること」という意味になります。

このように長い歴史を経て確立されたレーシックは、1995年にアメリカのFDA(食品医薬品局)から認可され、急速に広まるようになりました。

日本におけるレーシックの歴史

屈折矯正手術の研究・実験が海外では長きにわたり続けられてきたことをご説明してきました。日本では2000年になってようやく、厚生労働省より「エキシマレーザー」の屈折矯正手術への適応が認められました。日本のレーシック普及度合いは海外に比べてかなり遅れをとってしまっていますが、そんな日本でも、早くに屈折矯正手術に挑んだ医師がいました。

レーシックに対する日本人医師の試み

日本で最初に屈折矯正手術が行われたのは、ノルウェーで乱視治療のための屈折矯正手術が行われた後のことです。1939年、順天堂医科大学の佐藤勉教授が、近視に対しては世界初となる屈折矯正手術を試み、世界の注目を集めました。

佐藤教授が試みたのは、メスを使って角膜の表裏両面を中心から放射状に切開して角膜の中央部分を平らにし、近視を矯正させるものでした。ところが、この手術方法には問題がありました。角膜後面の内皮細胞は再生されないので、傷つけてはいけなかったのです。しかし当時はまだ、そのような知識のある人はいませんでした。結果、この手術方法では水抱性角膜症という、時間の経過とともに角膜が濁ってしまう合併症が発生してしまいました。

しかしこの手術の盲点を解明し、角膜内皮細胞を傷つけないように表面のみから切開することで、安全に近視を矯正する手術法が旧ソ連で考案されました。これが先ほどもご紹介した「RK」と呼ばれる手術法で、後にレーシックに至るまでの発展を遂げていきます。

日本でのレーシックの始まり

日本においてエキシマレーザーそのものの認可が厚生労働省から下りたのは、じつは1998年です。しかしこのときはあくまで他の眼科疾患に対して使って良い、ということであり、角膜の形を変化させる屈折矯正手術への適用は認められていませんでした。2000年になってようやく屈折矯正手術への適応が認められましたが、最初はPRK(エキシマレーザーを使って角膜を表面ごと削る術法)のみでした。

レーシック(角膜の表面を薄い膜に切開し、角膜実質という矯正の必要な場所にピンポイントでレーザーを照射する術法)への認可がなされたのは2006年のことです。レーシックの画期的なところは、角膜を表面ごと削ってしまうのではなく、フラップを作って角膜の中の必要な部分にのみレーザーを照射する点でした。PRKに比べて痛みも少なく、なにより手術直後から視力が回復するという今までにない近視矯正手術であったため、日本国内では大きな期待が向けられました。

レーシックとスポーツ選手・著名人

当初はまったく新しい手術方法ということで様々な不安を感じる人の多かったレーシックですが、スポーツ選手や著名人がレーシックを受けたことにより、一般人の間でも広く受け入れられるようになりました。

レーシックを広めるきっかけを作ったのは、裸眼で試合に出ることを望むプロスポーツ選手や、著名人達と言っても過言ではないでしょう。

スポーツ界では、サッカーの本田圭祐選手、元体操選手の池谷幸雄さん、元プロテニスプレーヤーの杉山愛さんなど多くの選手が、著名人では堀江貴文さん、女優の前田敦子さんもレーシック手術を受けたことをブログで明かしています。

歴史に裏打ちされた今日のレーシック

レーシックが海外・国内でどのような展開をみせてきたのかをご紹介してきました。いまや世界中で行われているレーシックですが、ここに至るまでには多くの医師達が、様々な研究や試行錯誤を長きにわたり重ねてきました。これらの歴史から、レーシックの安全性や信頼性が積み上げられてきた経緯が見て取れることでしょう。

また現在も、より精度の高い方法を多くの医師達が日々研究・開発し続けています。長い歴史と、一人でも多くの患者さんの目を治したいという医師達の奮闘によって、レーシックは今後も更に広がりを見せていくことでしょう。

【参照】
安心LASIKネットワーク編(2012)『安心レーシック完全ガイド:レーシックで後悔しないための必読書』保健同人社.
渥美一成 (2003)『レーシックが日本を変える 近視矯正治療の知識と実際』中部経済新聞社.
レーザー視力矯正眼科医師グループ (1996) 『近視が治る最新レーザー治療―視力が驚異的に回復する最先端技術・LASIKとは』史輝出版.
宮井尊史(2014)『博士論文 論文題目 角膜手術と屈折・視力に関する検討』.
日本眼科学会「屈折矯正手術」
日本眼科医会(2016)「屈折矯正手術の現状」
京都府立医科大学眼科 加藤浩晃(2012)「屈折矯正手術後の角膜と合併症〜歴史を交えて〜」(第9回KGK勉強会)
奥山公道(医学博士)「RK の歴史を教えてください。」
中村葉(京都府立医科大学 眼科)「レーシックに対するレーザーの応用」

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